小太郎さんのいる日々

スキッパーキの小太郎さんと自堕落飼い主のどうということもない日々の記憶

小太郎さんのごはん

小太郎さんのごはんは1日2回、早朝散歩から帰ってきてすぐと、夕方に与えている。人間の食事は小太郎さんのごはんの支度が終わってから準備。当然、小太郎さんの後に食べることになる。

ところで、犬のしつけに関する文章やサイトを読むと、「犬の餌は人間の食事の後に」という表記をしばしば見かける。本来、群れ社会を作る犬の場合、獲物は上位の者から食べるものであり、人間が犬の餌の後に食事をするのは、自分たちが犬よりも下位であると言っているようなものだから……というのがその主張の趣旨である。

理屈としては分からないでもないのだが、この説には少々ひっかかるところもある。群れで倒したひとつの獲物を分けあって食べるのなら確かにそうとも言えるが、まったく別々の食事を、しかも犬の餌場とは別の食卓で食べる場合、この『順序』にどれほどの意味があるのか、疑問を感じるのだ。もし犬が、自分が餌を食べ終えた後で人間が食事をしているところを見て『自分より後でモノを食べている』と思うとするなら、それは犬に明確な時間の感覚、あるいは概念が備わっているということになる。しかし、正直なところ自分には動物にそのような”時間”の概念が備わっているとは思えない。

彼らは言葉を持たず=明確な自我を持たず、故におそらくは”未来”や”過去”という概念も持っていないだろう。時間経過を感じることと、いくつかの出来事を”現在”の視点から”過去”や”未来”であると捉えることは全く別のことのはずだ。

犬に躾が必要なのは、突き詰めれば人間が犬と快適に生活する為=人間側の欲求によるものでしかないと思う。重要なのは個々の生活において犬との関係が良好であると言えるかどうかであって、厳密にこうでなければいけない、というしつけはないと思われる。だから自分の場合、小太郎さんがアルファ症候群に陥らないよう、おおよその順位付けを知らしめるための最小限のしつけは行うが、厳格にしつける必要性は感じない。

朝の散歩からお腹をすかせて帰ってきた小太郎さんに、すぐにごはんを食べさせてやりたい。そう思う自分の欲求を満たすことの方が、この場合は重要と考えているのだが……犬を飼われている皆さんはどう思われるでしょうか?