今年最後のご挨拶
もともと、一年の総括とか新年の抱負とかいう柄でもないし、まして愛犬の話でデレるブログで何をか言わんや……ではありますが、それでも一応、1年の締めくくりということでご挨拶などさせて戴こうかと考えた次第。
どこのサイトだったか、最近ネットでこんな文章を見かけ、色々と考えるところがあった。
『あなたにとって愛犬は人生の一部かもしれないが、
犬にとってはあなたが全てである』
……そう、まったくその通りなんだよな。
人間と犬の関係は、常にその取捨選択、生殺与奪の権限を人間の方が一方的に握っており、犬達はただ、置かれた境遇を受け入れ生きていくしかない。犬と共に生活する理由や事情は色々あれど、その根源にはどうしても、人間自身の欲求を満たそうとするエゴが存在している。
犬達はそんな人間のエゴを受け入れ、自分の境遇を受け入れ毎日を精一杯生きている。先日、打ち合わせに向かう電車の車内でラブラドールの盲導犬と出会った。生まれる時と場所が違えば、あるいはごく普通の飼い犬として安穏とした暮らしを手に入れられたかもしれないが、彼には盲導犬として生きる運命だけが待ち構えていた。選んだわけではなく、そうさせられて。
しかし、彼自身がその境遇に不満を抱いているのかと言えば、おそらくそうではないだろう。落ち着き払ったその表情、眼差しには誇らしさすら感じられる。盲導犬としての役割を果たし、主人の傍らにあること、それは彼に取っては当然のことであり、そして、そうすることがおそらく大好きなのだろう。
小太郎さんは今、こうして文章を書いている足元に潜り込んで眠っている。温かい寝床やソファの上、ストーブの前……暖かくて寝心地が良い場所はいくらでもあるというのに、わざわざ狭くて冷たいパソコンデスクの下を選ぶのか。それは多分、僕がこうしてここに座っているからに違いない。生後3ヶ月過ぎでブリーダーの元から我が家にやってきた彼に取って、
僕といることは当然のことであり、そうしているのが最も落ち着くのだろう。
犬には『分離不安』という本能的性質があるという。群れから切り離されること、独りになることを恐れる性質。人間はその犬の持つ群れ意識を利用して、犬を家畜化してきたという。しかし、本当に独りになることを恐れたのは果たして犬だったのだろうか?
犬にとって何が幸せなのか、それこそ犬ならぬ我が身に知る由はない。
ただひとつ分かっていることは、彼らが共にありたいという僕達飼い主……人間の欲求を受け入れてくれているという事実だけだ。芸を仕込むとか使役するとか、そういうことが犬と生きるということの本質ではないだろう。
おそらく最初にあったのは、共にありたいという、お互いの心の飢えを満たそうとする欲求であったのではないか。だから、僕達はその責任を果たさなければいけない。できるだけ長く、少しでも長く、彼らと共にあり、時間を共有する努力を。
小太郎さん、一緒にいてくれてありがとう。
来年も、一緒にいてください。
そして、ひとつでも楽しい思い出を多く残せればいいね。
世界すべての犬達にも、願わくば幸せな一年が訪れますよう。
そして、この拙いブログを見守ってくださる皆様にも感謝を。
良いお年をお迎えください。