小太郎さんのいる日々

スキッパーキの小太郎さんと自堕落飼い主のどうということもない日々の記憶

小太郎さんのしっぽの話

小太郎さんにはしっぽがない。

勿論、最初からなかった訳ではないし、振りすぎてちぎれてしまったわけでもない。
スキッパーキは元々断尾をする慣習のある犬種で、小太郎さんも生まれて間もなく、ブリーダーによって断尾されたのである。ただ、あまりやり方が上手くなかったのか、あるいは本来そういうモノなのかどうか分からないのだけど、触ってみるとまるで切り株のように、結構付け根の部分がしっかりと残っている。だから喜んで興奮している時など、そのしっぽがピンと立って盛り上がり、まるで燕尾服の裾のようだ。

尾や耳を切って整形する断尾や断耳という慣習は、古くから特定の犬種に対して行われてきた。牧羊犬が家畜に尾を踏まれてそこから壊死するのを防ぐためとか、闘犬等に使われる犬の場合、相手に噛み切られるのを防ぐためとか、もっともらしい理由もあることにはあるが、多くの場合、どうやらそれは後付けの理屈で、大抵は見た目を重視して行われたものであったらしい。

例えば、ドーベルマンは断尾と断耳を行うことによってあの強面の印象が作られているが、行わなかった場合は垂れ耳の、まるで線の細いラブのようになり、恐ろしい印象とは程遠くなる。スキッパーキに至っては悪戯ばかりする飼い犬に腹を立てた靴職人がそのしっぽを切ってしまい、そのスタイルが流行して定着したというのだから酷い話だ。

基本的に、個人的には断尾・断耳の慣習については反対だ。
生まれたばかりの子犬は神経が未発達で痛覚がなく、問題がないという見解がある(否定的な意見も当然ある)ようだが、そもそも痛くないから良いというものでもないはずだ。元から自然にあるものを、ただ好みで切ったり整形するなど、倫理的にすべきではないという事は自明の理だ。

まあ、突き詰めてゆくなら、そもそも人間の欲求によって品種改良をし続けていること、それ自体はどうなのかということにもなるだろう。徹底した改良の挙句、自然分娩すらできなくなってしまった犬種も存在するのだから。

しかし……敢えて批判や誤解を恐れずに告白するが、小太郎さんの断尾されたそのシルエットがかわいいと感じることがあるのも、一方の事実だ。中途半端に残された切り株のような尻尾を目一杯振ってみせる姿の愛らしさは、否定することができない。

断尾されていない子犬を選ぶこともできた。どういうわけか、ブリーダーは同時期に生まれた子犬を断尾したものとそうでないものとに分けており、きちんと尻尾を持っている子犬も、同じ犬舎にいた。断尾を望む客にもそうでない客にも対応する為だったのかもしれない。ネットのサイトで見て心に決めていた子犬が、断尾された個体だったのである。

理由はどうあれ、断尾された子犬を選んだこと、そしてその姿を可愛いと思うことは自分自身の負うべき業であろう。何をどうすれば、その業に対する責任を取ることになるのか分からないけど、ただ、飼い主としての責任をひたすら果たしいく事だけができることかも知れない。